scene10

「井上勉強出来るだろ」

 フォローするつもりなのか笹木の言葉に、早苗は薄く笑う。
 いつのまにか上体を起こしていた彼は、そんな様子に訝しげな顔をする。

「ううん。真面目なだけで優等生じゃないもん。その真面目さも、不真面目っぽいし」

 上辺だけの真面目さ。
 真面目に授業を受ける、宿題はきちんと提出、忘れ物はしない。
 ただ親に、先生に、気に入られるような振る舞いをしているだけ。イイコでいようとしているだけ。

 いつからだろう。

 気がついた時にはそうだった。
 したいことがあっても、欲しいものがあっても、口に出来ず、動けず、言われたことばかりをして、受け身で。

 ――そんな自分が嫌いなのに。

 グラウンドからの風が、早苗の肩ほどの黒髪を、笹木の少しだけ長めの茶髪を、揺らして吹き抜けていく。

「……だけどさ、憧れと恋愛感情なんて似たようなもんだと思うけど。井上の気持ちだって変わるんじゃないか?」
「変わらないよ。……変わっても、認めない」
「認めない?」
「うん。認めない」

 ――自分のそんな感情なんて、認めない。
 叶わないから。叶うはずがないから。そんな感情なんて持たない。

 きっと彼には理解出来ない思いだろうなと、早苗は笑った。
 勝手なイメージではあるが、 笹木は恋愛に不自由はしなさそうに見えるから。 相手から寄ってきそうだなと、こっそり思う。

「わからないなぁ」
「私もわかんない」

 予想通りの言葉が笹木の口から発せられて、早苗は笑おうかと思いながら、それでも出てきたのはため息だった。

「……わかんない、なんで笹木くんとこんな話してるのか。仲いいわけでもないのに……」
「あはは、じゃあこれから仲良くなれば問題ねーって!」

 早苗にとって今一番訳のわからない問題を、 笹木はあっさり笑い飛ばした。
 言う通りではあるかもしれないとは 思うものの……順番が引っ繰り返っている気がしてならない。 いいのだろうか、それは。

「笹木くんも変な人だね」
「そう言う井上こそ」

 互いに相手こそがそうであると、 そんなことを言い合って、顔を見合わせて笑う。

「お疲れー!」

 部活を終えた岡崎がフェンスに駆け寄ってきた。 練習着にも顔にも汚れが飛んでいる。 楽しそうな目を向けられると、 それはやっぱり大きくて輝きを放っているようだ。

「なあ! 何喋ってたんだ? やたら楽しそうだったけど」
「えっ。なんでもないよ?」
「うん、なんでも。ああ、これから仲良くやっていきましょうヨロシクって話はしてたな」
「何それ、そこに俺はいんの?」
「いない。」
「ひでぇ!!」
「じょーだんだっつの」

 岡崎と笹木がフェンス越しに交わす言葉に早苗は笑う。
 最近よく笑うように、笑えるように、なった。それをとても実感する。






CLAP*