02 - 迷子の眠り姫
重い瞼。すぐに引き戻されてしまいそうな眠りの淵。
何故こんなにも眠りを欲しているのだろうとほのかな疑問が浮かぶが、考えられない。それでも何か大変なことがあるような、理由に思考が到らないまでも、不安が、危機感や焦燥感といったようなものが、ゆらゆらどこかで揺れる意識を覚醒へと追い立てる。
――木製の天井。
浮上した意識、ぼんやりとした視界で最初に認識したのは、見覚えのない暗さの深い部屋。
ふわりと湿り気を帯びた風が髪を撫で身体に触れ、その潮の匂いに記憶がよみがえる。逆流する水のように押し寄せる。
何が起こったのか。
それを思い出した途端痛みが走る。鈍い打ち身の痛み、そして、
――胸の痛み。
息が詰まる。苦しい。痛い。
視界も腹の中もぐるぐる回って吐き気が襲う。ぐ、と喉を鳴らして堪えるが苦った感覚は逃げてはくれない。
「……ッ、ふ」
溢れだしそうな感情、だが泣けない、まだ泣けない。
強く瞼を閉じた目を両手で覆い、息を殺す。冷静に、冷静に。自分に言い聞かせる。――まずは自分の身の置かれた状況を掴まなくては。
呼吸を整え、常より重い気のする身体を起こす。慎重にしなくては。もしかするとまた囚われの身となっている可能性もあるのだ。
ゆっくりと素早く視線を周囲に走らせる。簡素な物しかないらしい、狭いわりには片付いた部屋。少し古いような、それでも清潔そうな……。
「――――違う」
記憶に残るあの場所、あの船と。室内の雰囲気も広さ狭さも、揺れる感覚も、感じ取れる空気すら。
ほっとする反面、小さく棘が刺さる。一人で逃げ出してしまったのだ、何があったにしろ――。
「何が違うの?」
不意のことに、少女はびくりと肩を震わせた。一人だと思っていた部屋の中の、自分以外の声。心臓がうるさく体内を打つ。
いったいいつからいたのか、油断してはならないと気を張っていたつもりだったのに。
声のしたと思われる方へ視線を巡らせる。暗くてよくわからないが、声からして自分より年上の女性だろうかと見当をつける。部屋の隅で椅子に座っているようだ。
「私はルカ。怯えなくていい」
怯えるなと言われても、暗がりの中に見知らぬ人間と二人きりでは警戒せずにはいられない。
「どなた、ですの……!?」
「この船、白夜号の人間だよ。まあ一部ではちょっと知られてるみたいなところがあるけど、お嬢さんじゃ普通知らないだろうね」
「わたくしを馬鹿にしてらっしゃいますの!?」
「まさか。そんなつもりはまったくないよ。――……いいからもう少し眠りなよ」
声は決して冷たくはなく、静かな口調は張りつめた心にはあたたかくさえ聞こえた。だが。
「誰とも知れない者の前で眠るなど、冗談じゃありませんわっ」
「……って言われてもねぇ。さっきまで寝てたじゃないか」
「まさかずっといましたの!?」
「うん」
何でもない、全然大したことではないように、ルカは軽く頷いた。
実際ルカは意識もはっきりと目覚めたことに安堵していたのだが、少女には知るよしもない。
「わたくしは――」
「話は聞くけど、それはまた次に目が覚めたらね。おとなしく眠りなさい」
今は“あれから”どれくらいの時間が経った頃なのだろうと、少女は不意に思った。眠れるわけがない、そう言おうとも思った。すべきことが、考えるべきことが、あるのだから。
だが急にまた眠気が襲ってきて――
「おやすみ、迷子の眠り姫」
穏やかなルカの声だけが、室内に溶けて消えた。