01 - 流れくる序曲
「ボートだ!」
その声に皆が一斉に反応する。声は彼らの頭上、見張り台からである。
晴れ渡る大空の下、照りつける太陽の熱量は激しく厳しい。そんな海上、それもこんな沖にボートだなどと不自然極まりない。
幸い先ほどから風は凪いでいて波は穏やかだが、長時間この状態が続けば生命を維持出来るかどうか。――見張りが声を上げるのだ、人間の姿を確認したのだろう。
「どんな奴が何人!?」
「女一人だけっ」
見張り番の少年からの返事に、黒髪の年若い船長は頷き乗組員に号令をかける。
「引き上げろ! リーク頼む! アーヴェルはロザリーに言って部屋の用意を! 他の者はボートの回収だ! 頼む!!」
号令が終わるのを待たず名前の出た者から動き出す。その中に鈍い動作をする姿などなく、自身の意思で行動を決められない者は年長者に従う。
見張り台からするりと降りた少年が船内へと駆け込むとほぼ同時、船長自らも甲板を駆けた。
流れきたボートに近い縁ではロープを結び付けた柵の辺りに男が数名待機し、海面まで伸びて揺れるロープの先では長身の青年が身軽そうにぶら下がってボートが辿り着くのを待っていた。
小型のそれは一見したところそれなりの造りと見られたが、ボートはボート、大海原を渡るのに適しているはずもない。何があってのこの状況かはわからないが、現にそこでは気を失いでもしているのか人影が横たわっている。
ボートが船体に触れるかどうかというほどに近づく。待っていた青年が降り立ち、ぐったりとした少女を軽々と抱き上げる。そして青年がロープを両手で掴んだのを確認すると、男たちが声をかけあい引き上げた。
「大丈夫か、リーク?」
「かーるいかるい」
「違う。その子だよ」
お前はどうでもいい、とでも言いたげな船長の言葉に、船上に戻ったリークは「やっぱり?」とにへらっと笑う。
人数的なこともあったとはいえ、リーク一人でそれなりの重量となるはずが難無く引き上げられたロープ。それだけ少女が軽いということか。
細く、本当に重さを感じさせなさそうな身体を抱えたまま、二人は足早にドアへと向かう。
「どこぞの偉いサンのお嬢かね、こりゃ」
「その言い方、年寄りくさいぞ。――まあ目が覚めればわかることさ」
「だな。……記憶があれば」
リークは小さく苦く笑う。
長旅を繰り返していれば、流離い人にも訳あり人にも、それこそ死人同然の者にも会う。中には声を失った者や思考を封じられた者、手足など身体の一部を無くしたり、何が原因なのか記憶のまったくない者もいる。
今回ももしそういった問題があれば、また何かしらの騒動に巻き込まれることになるのかもしれない。
いつものように。
背後では船員たちが慌ただしく、だが落ち着いた機敏な動きでボートの回収にあたる。これ以上の命令はなくとも各々に任せられることはすでにわかっている。
そんな中を通りすぎ船内に入ってしばらく、ドアを一つ叩き開いた。
部屋のベッドを丁寧に整えていた女が振り向く。少年は大きな目を向けながらも足を止めず動き回っている。
「あら、本当にまだルカとそう変わらない女の子なのね」
「……そうか?」
わずかに上げられた黒い眉に、ロザリーは笑って少女をベッドに寝かせるよう促す。リークがそっと下ろしたその身体にロザリーがシーツをかけ、髪などを整えた。
白い肌に栗色の長くやわらかな髪、そのかわいらしい顔立ちには幼さが残っている。シーツからは衣服は潮風にか若干よれている襟元が覗く。
「見たところ怪我もしていないようだし、そのうち気がつくでしょう」
ロザリーの手が少女の額や頬に触れる。
「少し日に当たりすぎたみたいで熱っぽいから、布を濡らして冷やしてあげないとね」
「水持ってくるよ」
「ええお願い、アーヴェル。二人ももう戻ったら? あとは任せておいて」
にっこり微笑って姉のようなロザリーに言われては、さすがの船長も笑って引かざるをえない。
桶を手にアーヴェルが飛び出していったドアを見遣り、ロザリーに視線を戻す。
「じゃあ任せるよ。アーヴェルが戻ってきたら、ここにいたければいていいって言っておいて」
手は一人でだって足りると思うが、一応の手伝いに少年一人置いておいたところで邪魔にはならないだろう。
そう判じリークを連れて外へ向かえば、背中に明瞭な答えが返った。
「了解」